枯れた、さいきん欲しいものがない。
欲しいものはあるけれど、物欲を満たしても大してなにも起こらないことを身体が知っている感じ。
朝はコーヒーとトマトがあれば十分だし、夜は子どもたちと一緒に食べるイチゴとりんごが最高に美味しい。
生活でもSNSでも嫌だなと感じる物事からは離れるし、魔神英雄伝ワタルの放送(1988~98年)が終わってからというもの、歯医者と職場でしかテレビを見ないようになった。
100年前も、1000年前も、この世界はいつだって「激動」だったそうな。
春い俺の頭の中も2023年現在、欠伸が出るほどの激動である。
人の心はこの国みたいによく揺れる。
だから長く生きるなら、コンクリートみたいな信念よりも、木々のようなしなやかさが求められると思う。
テレビやSNSを見ていると金銭感覚や倫理観までもがグラついて、望まぬ競争に巻き込まれてしまう、疲れる。
あぁ、不完全ながらも、折れることなく揺れる花になりたい。
何かにも書いたけど俺の言いたいことはほとんど全てバンプ藤原が言ってしまっている。
そういえば乾燥機に入れたお気に入りの靴下がキレイさっぱり影も形もなく、消失した。
質量保存の法則が終わったのかもしれない。お気に入りの靴下に比べたら、質量保存の法則なんて大して好きじゃないので、やめるなら先に言って欲しかった。
こんな風に確実なことなど何もないことが、日常生活からもなんとなくわかってくる。
今日もご飯が美味しくて子どもが笑っていて、とてつもなく運が良かった。
なにも思い浮かばない・・・わからねぇ・・・ごめん姉さん。
薔薇のさだめに生まれたわけでもないし、
アルマゲドンのメンバーにも選ばれたこともないけど、
本が読めて、たくさん歩けて、割と幸福だなって毎日ぼんやり考えてる。
冒頭に書いたようなメディアやSNSの、怒り・煽り・共感は苦手かもな。
過剰なものが苦手なんだろうな。
これからもバズりも炎上もせずに春い感じでいきたい。
19歳の時、あやのちゃんに言われた。
「なんかあなたの顔見てると、まぁこの人でいいや、って思うのよね」
毎朝自分で鏡を見たとき、この言葉を思いだす。
「まぁ、俺でいいか」
余生はたくさん子どもと遊んで、たくさん音楽聴こうと思う。
ps.みんなが余生でやりたいことはなに?