正直に言う。
この交換日記は壊れかけたコミュニティをギリギリ橋渡している。
そんな状況。
アラフォーの大人だから、責任感でなんとか繋いでいるにすぎない。
キレイごととか嫌いなので、そこははっきりと書いておくことにする。
ただし、個人をどうのこうのと思う事はない。
私自身、いただいたバトンを3か月寝かせる阿呆だから。
人の事をあーだこーだいう資格を持ち合わせていない。
歳を経るごとに感じる。
自分の人生が、自分以外の都合で大きく動いてしまう現実がある。
計画を立てようと、目標を掲げようと、どうにもならない状況は起こりうる。
だからこそ、だらだらと自分勝手に書き置ける場所がありがたいなーとか。
「誰かへ」の文章を書けるのは貴重な機会だと、そう思って書いている。
前置きがちょっとアレだから、気を取り直して…と。
同年代の人に前々から意見を聞いてみたいことがあったの。
今回はそのことについて書いていく。
「ぶりっこ」が狩られた小中学生時代
私が小、中学生の頃。
女子の中で支持されたキャラクターは
- おてんば
- 男まさり
- 運動神経抜群
上記の要素の組み合わせだった。
「女の子らしい」要素は「ぶりっこ」に分類される。
そして「魔女狩り」ならぬ「ぶりっこ狩り」が公然と行われた。
※いじめという認識であっています
女子のコミュニティ内でぶりっこは淘汰され。
クラスには中心的なおてんば女子とはちまき娘、喪女候補のみが残された。
これは私の育った地域のみの現象なのだろうか…?
私の年代には少なからず起きた現象ではないのだろうか…?
世のアラサーアラフォー世代の方、ご意見を求む。
「ぶりっこは許される」と知った青春時代
中学生当時の私は、喪女よりのはちまき娘枠で生き残り…
高校でこの生き方に疑問を持ち始めた。
大学でできた彼氏(男子校育ち女子に夢見すぎ)からどストレートに
「もっと女の子らしくすればいいのに」
を喰らったことで迷走し、メンヘラ化に拍車がかかった。
今は良い思い出である。
アニメでその辺を考察してみる(詳しくはない)
ぶりっこ狩りが行われていた小・中学生当時はさとう珠緒のぶりっこキャラは異星人扱い。
タッチの南は、漫画・アニメキャラだから許されていただけ。
南的なキャラを模倣した暁には強烈な弾圧が待っていた。
今思うとバカみたいな話だが「ぶりっこみたい」な歌い方をするという理由で、私の周りではマイラバとcharaが不人気だった。
私はどっちも大好き。
アニメが「女の子らしいキャラ」をモブキャラではなく主要キャラに抜擢しだしたのはいつからだろう?
おそらくだが、2000年代だ。
萌え声のきゃわわ!
なキャラを前面に押しだした文化は当初、拒否反応が出るほどの衝撃だった記憶。
(同性なので)
ちなみに、メイド喫茶も2000年ごろに誕生したようだ。(※諸説ある)
私がこの件をぐるぐる考えるようになったのもアニメがきっかけ。
そのきっかけになったアニメが「呪術廻戦」だ。
女性キャラの立ち居振る舞いに、強烈な懐かしさを感じた。
先述の3要素のうち「おてんば」は主役ポジション。
その他の「男まさり」「運動神経抜群」は助役ポジションにも欠かせない要素。
思い出してほしい。
「萌えキャラ」が存在しないんだよこのアニメ。
呪術師はみんな「男まさり」で「運動神経(呪術的能力)抜群」
天内理子が女の子らしさがあった気もするがどっちかというと「おてんば」枠ではなかろうか。
この殺伐とした空気。
媚びない!負けない!を強要される雰囲気。
これだよ、これこれ!!!!!!!
私の読んだ当時のりぼんも、ほとんどおてんばが主役でさ。
シャイなイケメンと喧嘩しながら少しずつツンデレしていってさ…
いつのまにか両想い展開よ。
(呪術廻戦は鬱展開なのでこの要素ないけれども)
今回書いている事をね、呪術廻戦アニメ化当初、ブログ始めたてで記事化したんだけど。
クソ記事すぎて消しちゃったの。
だから改めて書いた。
どう?伝わる?
最近は「あざとさ」すら市民権をもつよね
「女の子らしい」にとりつかれた大学時代。
それでも刷り込みを排除することは難しく「ツンデレ」の習得がやっと…
デフォルトは「男まさり&サバサバ(という体のガサツ)」で固定。
下の世代の女子はみんな「女性らしさ」のもたらす恩恵を正しく受け取れる所作をナチュラルに習得していてびっくり。
私のようなキャラはもう過去の遺物かもしれない。
さらに「あざとい」を特殊技能として認めつつあるこの世の中。
ついていかれへん…
永遠に書けそうだけどこの辺で
アニメ観てこんなこと考えてるのヤバいよな。
みんなはどう思う?
私へん?(変だよね)
みんなの青春の世界観も教えてみてほしい。